2008/07/01

便利かどうか

珍しく物思いなhibanaっす。ども。

ここのところ歌ったり踊ったりと
やたら活発な様子のわたしだけれど
もともとは引きこもり。
憧れの職業も引きこもり。

どこにも行きたくないような人間なのだ。
どうでもいいようなことを
ぐずぐずと考えているヤツなのだ。

お出かけ続きだと、いきおい出先でのトイレ利用も多くなる。
まぁしょうがあるまい。デモノハレモノトコロキラワズ

最近のトイレは便利なんだと思うが、どう?
いったいどこをどうすれば水が流れてくれるものやら
さっぱりわからないトイレが間々ある。

「わたしも年をとってわからないことだらけねぇ」などと
つぶやきつつ何処に手をかざすやら探していた時にふと思った。

これ、見えないと全くわからなくないか?


ド近眼とはいえ、一応漢字もまぁまぁ読めるわたしでも
どこをどうすりゃ流れるやらわからない設備なのだ。
見えない人は使えないじゃないか。
トイレくらい余計な「すみません」を言わずに入りたいじゃないか。
そう思って、個室内から始めて
どこをどう探したって点字の説明パネルなんて無い。

こういうことなんだ。
こういうことがイケナイんだ。

浮かれすぎて
「考えて続ける」と決めたことに気づくのが遅れた
自分が嫌いだ。

わたしたちの便利って、こういうストレスを排除するために
あるべきなのじゃないだろうか。
体中しっかり機能している人にとっては
水を流すくらいのこと、別に大変じゃなかろう?
便利は誰のために必要かをもう一度考えよう。

そして、こういうことはもっともっと声高に
言い続けていいことだと思ってる。
言おう。
こんな小さな場所でも、言い続けよう。

ほんの少しの時間しか、わたしたちは生きられない。
だったらその少しの時間くらい優しくなれないだろうか。
優しく生きられないのだろうか。
そんな風に思いながら言い続けよう。
 

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