2005/11/03

重版出来

と、思われる「グレアム・ヤングの毒殺日記」。

あまり報道されていませんが
映画化されていて、わたし、観ました。
だからと言って誰かを毒殺したりはしません。

誰の心にだって闇はあって
押さえ込んで乗り切っているのだと思います。

彼女が化学薬品に非常に興味を持っていたことに対して
「どうして?」と人は聞きます。
けれど、男の子全般が電車や車に興味を持っていたとしても
誰も「どうして?」とは聞きません。

どうして好きか、なんて聞かれても
きっと答えなんてないと思うのです。

車が大好きで大好きで、
だから誰かを轢き殺してみたくなったりしません。

化学に興味を持ったからといって
化学者が全員誰かを毒殺する筈もありません。

彼女が出会ってしまったのが「薬品」だっただけで
もしも他の何かに出会っていたならば
それをもってして何か行動をおこしたのでしょう。

人は簡単なキーワードに飛びついて
理由を知ろうとします。
自分は誰かを殺したりうっかり殺されたりしないという
保証に似た安心を手に入れたいのだと思います。
そんな保証は手に入る筈も無いのに、求めています。

ちなみに、グレアム・ヤングの毒殺日記(映画)は
非常に淡々としています。
彼はただただ、
<薬品を与えた個体がどのように変化するのか知りたい>
というだけに見えました。
観察を主目的としているので
身近な人を次々とそのターゲットに選ぶのです。
近親憎悪とも違った印象を受けました。
悪意というものがほぼ感じられないのです。
道徳観念というものが完全に欠如している人だったのでしょう。

今回の彼女のように孤立するというよりも
なかなか魅力的な外見を持っていた彼は
友人もいたようです。
そしてやっぱり、せっかくできたその友人に
毒を盛ってしまうのです。
完全に自己完結な思考回路なのでしょう。
友達がいて楽しい、お話していて楽しいという事よりも
自分の実験や観察に重きを置いてしまうのです。
まさしく<そんな風に生まれついた>感じでした。
ひたすら閉じこめて置くしか対処法が無いと思いました。

彼女は誰かと係わりたかったのに上手に係わることができず
グレアム・ヤングのように
自己完結な人になりたかったのではないか、と思います。
もっと他の人に出会っていれば・・・と残念に思います。


かなり沢山の人々が今頃必死に彼女のブログを
探しているのではないかしら、と思いつつ。