2005/01/23

献体

本日はものすごーく寒い中、有楽町の国際フォーラムで開催されている
「人体の不思議展」へ行ってきた。
相方が言うには「ヴィタールの復習で」とのこと。

復習どころじゃないし、不思議もなにもない。
てっきりプラッチックで作った「過剰に詳細な模型」だと思っていた。
違う。ご遺体そのものなのだ。
特殊な加工技術が開発されたため、ご遺体をそのまま全く水分なしに保存できると。

すべて剥ぎ去って骨格だけであれば何となく受け入れられる。
筋肉の詳細。
全身の血管だけ。(その他の肉や骨はすべて取り去られている)
なにもかも詰まったままの状態で、縦や横や前後の輪切り。
全身とにかく輪切って、何層にも剥いである。

献体って、ここまでされてしまうのか。
そして、ここまでしなくては医療は前進しないのか。
こんな勇気ある方たちの遺志により、わたしたちは生き延びているのか。

気持ち悪いなんて思わなかった。とにかく圧倒されてしまった。
どんな風に切り刻まれてもいいよ、という生前のその方たちの意志。
どうしてそう思ったのだろう。
せめてもの「生きた証」として、なのだろうか。

生きていることに意味なんてないや、と思うわたしではあるが
死んだ後の「自らの生の入れ物」に対してあれ程冷静に対処できるだろうか。

わたしの大切な人が遺志として「献体」を望んだとしたら、きちんと受け入れよう。
それだけは決心した。
生きているうちに思うとおりになることなんて、そんなにない。
せめて最後の意志くらいは思うとおりにしてあげなければ、と思った。

もしもその人が標本になったら、きっと会いに行く。
わたしはそんな風なのだと思う。
まだまだ冷静になれない。弱くて小さいヤツだ。

2 Comments:

Anonymous 匿名 said...

あれは圧倒されます。興味とか恐いもの見たさでは
ありません。技術も凄いですが、献体というか、同意というか
人間って・・。考えても答えがない世界観です。

2005年1月25日 15:29  
Blogger hibana said...

本当に。
肝試し感覚のヤツの頭を後ろから跳び蹴りしようかと思いました。
あの場所になにもかもさらけ出してくださっている方の思いを
なんと心得ているのか。
こんな風に人の品位というものがわかると思うのです。

2005年1月25日 22:41  

コメントを投稿

<< Home